妙楽寺について

寺院

天台宗 極楽山 妙楽寺 (テンダイシュウ ゴクラクザン ミョウラクジ)

〒669-2114 兵庫県丹波篠山市油井178

宗旨

天台宗てんだいしゅう

天台宗公式ホームページ(天台宗の情報が分かりやすくまとめられています) 

開山

法道仙人ほうどうせんにん

6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へと渡ってきたとされるインドの仙人です。播磨はりま国で多くの開山・開基をなされています。

仏像

   西陣:難転地蔵なんてんじぞう

   御本尊:阿弥陀如来あみだにょらい

   北陣:福禄寿尊ふくろくじゅそん

妙楽寺の御詠歌

「みほとけの ちかいも深き 油井あぶらい

  水にうつろう かげぞ とうとき」

妙楽寺の略歴

①大化3年(647)

 法道仙人が古森村大谿に一寺を開基。大谿山極楽寺と称した。

②応仁元年(1467)

 兵火に遭い、一山焦土と化す。福乗坊により御本尊は避難為された。

③応仁2年(1468)

 福乗坊、法道仙人による夢のお告により、油井の地蔵峠の西、堂ノ尾の峰に来りて草庵を築き御本尊を安置し寺山号を極楽山妙楽寺と改める。

​④天正7年(1579)

  油井尾ノ上城主酒井上野介秀正、織田方により落城。その時、城兵当寺に逃げ来たる。よって焼き討ちとなる。

⑤明暦元年(1655)

 松尾山高仙寺より僧来たりて当寺を現在の位置に移築す。

⑥寛文5年(1665)

 松尾山高仙寺本行院より東叡山へ届出の書状に、高仙寺末寺に油井妙楽寺とある。

⑦元禄9年(1696)

 僧圓舜により極楽山の謂れを書き残す。

⑧享保3年(1718)

 松尾山高仙寺本堂再建落成入仏の行列に洒水役として妙楽寺自光院相勤める。また、灯籠役として油 井村庄屋善六が勤めている。

⑨享保15年(1730)

  妙楽寺(大歳大明神)釣鐘鋳造す。

⑩宝暦2年(1752)

 妙楽寺各家寺社改帳-油井酒井本家文書

⑪宝暦4年(1754)

 元禄9年の口上書に僧秀潤が良通、滋舜、秀潤以上3名を追加記入する。

⑫宝暦5年(1755)

 妙楽寺各家寺社改帳-妙楽寺文書

⑬宝暦8年(1758)

 寺院御改帳-宗玄寺文書

 神宮寺として大歳、住吉、八王子、稲荷各社、知光院兼帯す。

⑭寛政5年(1793)

​ 自光院、病弱の為、黒田浄法寺への移籍願い提出す。

⑮寛政6年(1794)

 本堂、痛く荒廃、時の僧恵秀願主となり再建す。

 寺再建に尽力した者(酒井本家文書によれば)、市野源五右衛・村井仲之助・房前光平治・岡村兵衛之助・市位万五良・酒井佐五三良。

⑯文政2年(1819)

 寺 過半改修築 僧秀忱

⑰安政2年(1855)

 『御領分中釣鐘員数取調書』による釣鐘の記録。

 寺社名は大歳大名神宮寺。

​ 型・大きさは、長さー3尺8寸、口-1尺9寸、と記録あり。

 (右は、幕末、「尊王・攘夷」非常の際、外国船を撃ち払う大砲を製造する資源確保、準備の調査であると云う説がある。)

⑱安政4年(1857)

 大歳大明神社より釣鐘を妙楽寺に移す(釣鐘同荒廃の為か?)。

⑲昭和18年(1943)

 戦時金属供出により釣鐘供出。

⑳昭和49年(1974)

 位牌堂建立

㉑平成4年(1992)

 本堂・庫裏新築落慶

 引用:酒井辰夫『油井村の覚書』(2016)京都新聞印刷,p295-303​​ ※一部抜粋しています

タイトルとURLをコピーしました