【ブッダの言葉】思想や哲学の取り扱い方【簡単で分かりやすい生活仏教】

法話

 こんにちは🙏お照(Oshyo)です。

 かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。
 

 今回は、「思想や哲学の取り扱い方」について解説します。

 ブッダの言葉と私の視点から、簡単に分かりやすく話していこうと思います。

 [結論▶解説▶まとめ]の順番です。

結論:こだわり過ぎずに学び続ける

 はじめに質問です。

 あなたは、自分の思想や哲学を持っているでしょうか?

 

 私達は、人生を通して様々な価値観を身につけていきます。

 お金は大切、こんな生き方が良い、そんな行動をしてはいけないなど、様々な視点を持ちます。

 世界中にこのような思想や哲学といったものが無数に存在します。

 しかし、これらは全て、長い人類の歴史が生み出してきたものです。

 当然ですが、全く人のいない環境では思想や哲学は存在しようがありません。

 

 私達が普段の生活の中で、思想や哲学を持っていると思うことはほとんどありません。

 私達は、当たり前だと思っている自分の考えや価値観を疑うことはないからです。

 しかし、私達が普通だと思っていることも、よく調べると、どこかの誰かが作った思想や哲学が元になっていることはしばしばあります。

 思いの外、私達は思想や哲学と深く繋がっています。

 

 思想や哲学は悪いことだと言っているわけではありません。

 私自身、そういったものについて考えることは好きですし、人生をより深めてくれるものだと思います。

 

 しかし、自分が思想や哲学を持っていることに気づけなかったり、特定の考えに執着し始めると、だんだんと苦しみに近づいて行きます。

 他の人の行動を受け付けることができなくなったり、自分の考え以外が敵に見えてしまいます。

 

 2500年前にお釈迦様が、インドで仏教を始められました。

 その時代にも私達と同じように、思想や哲学によって苦しんでいる人々がいました。

 お釈迦様は、このような問題に対して以下のように答えられています。

<strong>お釈迦様</strong>
お釈迦様

あらゆる思想や哲学には、心を乱す性質があります。

私は、そういったものを捨て去って、心の安らぎを見出しました。

 この言葉の意味を分かりやすく解説していきます↓

 

解説:思想や哲学に執着しない

いかなる思想も哲学も捨てる

 君よ、私には「私の考えは〇〇である」という思想などありはしない。

 いかなる思想に執着を持ったとしても、執着からは苦しみが生じるから。

 

 あらゆる考えとあらゆる思想には、心を乱す性質があると気づいて、私はいかなる考えをも、つかまない。

 私は、哲学や思想を捨てて、座禅瞑想し、内面の安らぎを見出したのだから。

小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)167項

まとめると、

・思想や哲学からは執着が生じ、それによって苦しみが生まれる

・だから、考えには執着しない

・考えには執着せず、座禅瞑想によって心の安らぎを得る

という内容です。

思想や哲学を持たないことは難しい

 思想や哲学に執着しない。

 私自身、思想や哲学を考えることは好きな方ですし、執着しないことは非常に難しいと感じます。

 「私は思想や哲学には興味がない」と考えている人も、必ず何かしらの影響を受けています。

 私達が普段の生活を行う中では、全く思想や哲学を持たないということはできません。

 

私達は執着してしまう生き物

 私達は自分が良いと思った知識などに対して、だんだんと固執してくる傾向があります。

 「この考えは自分に合っている」と考えるようになると、その考えや理論を守るために頭を使うようになります。

 その考えが通らない状況を嫌うようになりますし、理論が傷つくと自分まで傷ついたように感じます。

 そのようなことを避けるためにも、ドンドンと考え込んで執着していきます。

 

 こうなってしまうと、人生を豊かにするための思想や哲学が、人生を窮屈なものにしてしまいます。

 または、知識に影響されすぎて、生活にも支障をだしてしまいます。

 これは私達の望む姿でしょうか?

 

 思想や哲学は、非常に深みを持つものです。

 その道に自ら人生を捧げることも悪いことではありません。

 しかし、単に自分自身が取り込まれてしまう危険性もあります。

 

思想や哲学は常に持っているもの

 このように大きな話でなくとも、私達は自分の社会観や道徳観といった価値観をそれぞれ持っています。

 そして、私達はその価値観に沿って日々の行動をしています。

 

 お釈迦様のように、思想や哲学の執着を捨て去っているような人はいないと思います。

 これは私達が普通に生活していると不可能と言えるでしょう。

 

思想や哲学は苦しみに繋がることがあることを知っておく

 では、普段の生活で忙しくしている私達はどうすればよいのでしょうか?

 なかなか自分の思考に対する執着を捨て去るような修行は困難です。

 

 そこで、私達が知っておくべきことは、「思想や哲学は苦しみに繋がる」ということです。

 これは、思想や哲学といった思考する行為を悪いといっているわけではありません。

 むしろ、生活の中でこれらを持っていることは、豊かな生活に繋がります。

 人類の英知に、生き方を学ぶことはとても大切です。

 

 しかし、それは同時に思考に偏りをもたらし、苦しみに繋がる原因にもなります。

 この矛盾したような状況をどうすればよいのでしょうか?

 

学び続けることが大切

 私自身の考えで、そして平凡な解答ですが、「学び続ける」しか無いのだと思います。

 そして、自分の持つ思想や哲学は「絶対に正しい」とは思わないことだと思います。

 

 いつでも、どこでも、誰に対しても絶対に正しいような思想や哲学はありません。

 今この瞬間に紹介しているお釈迦様の言葉でさえ、「苦しんでいる人に向けた、苦しみから離れているための方法」であり、絶対的に全てに対して正しいというものではありません。

 

 思想や哲学が苦しみに繋がることを知って、自分の考えは絶対的に正しいものだとは思わない。

 そのことで、思想や哲学に執着しすぎて苦しむことを防ぐことができると考えます。

 

まとめ

 私達は思いの外、思想や哲学を持っています。

 普段の生活の中では、あまり気付くことは無いのですが、当たり前のことだと思っていたことも、特定の思想や哲学から出てきた考えであることはよくあります。

 

 思想や哲学は、人生を深め豊かにしてくれる反面、執着してしまうと苦しみにも繋がります。

 私達は、そういったものを常に抱えています。

 

 お釈迦様は、全ての思想や哲学を捨て去り、心の安らぎを見いだされました。

 しかし、私達がその悟りの境地に至ることは非常に困難です。

 

 おそらく、私達がすべきことは、

 私達自身が気づいていない思想や哲学に自覚的である

 自分の考えが絶対に正しいと思い込まないようにする

 ことだと思います。

 そして、様々なことを学び続けることです。

 学び続けることで、自分はどんな考えを持っているのか、別の考え方があるといったことに気づけるようになるからです。

 このことによって、特定の思想や哲学に執着しすぎてしまうことを防ぐことができます。

 

 私の視点で、平凡な解答となってしまいました。

 お釈迦様の言葉を、普段の生活に落とし込む試みでした。

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