こんにちは🙏お照(Oshyo)です。
かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。
今回は、「依存から抜け出す方法」について解説します。
ブッダの言葉と私の視点から、簡単に分かりやすく話していこうと思います。
[結論▶解説▶まとめ]の順番です。
結論:「自分」と「仏教の教え」を心の拠り所とする

はじめに質問したいと思います。
あなたは、何かに対して依存症になったことがあるでしょうか?
一言に依存症といっても、様々な種類の依存症があります。
すぐに思いつくものだと、お酒やタバコ、ギャンブル、恋愛などが挙げられます。
依存症は、止めたくても止められないという症状が出ている状態です。
依存症と聞くと少し縁遠いようにも思いますが、私達のほとんどの人は、依存症とは行かないまでも、何かに依存的になっていることは多いです。
最近ですと、スマホやSNS、ゲームの課金などが目立ちます。
しかし、この世の中に私達が依存しきれるようなものは一つもありません。
全てのものは、常に変化し続けていて、依存できるような対象は一つもないからです。
仏教ではこのことを、「諸行無常」いいます。
2500年前にお釈迦様が、インドで仏教を始められました。
その時代にも私達と同じように、何かに依存してしまい苦しんでいる人々がいました。
お釈迦様は、このような問題に対して以下のように答えられています。

依存しすぎることは、苦しみを生み出します。
このことに気がついたなら、依存の対象からよく離れて暮らしましょう。
この言葉の意味を分かりやすく解説していきます↓
解説:依存から苦しみが生まれる
「依存から抜け出したい」という問題に対して、次のお釈迦様の言葉を参考にしていきます。
気持ちよさへの依存から、苦しみが生まれる
ありとあらゆる苦しみは、何かに依存することを縁にして生じる。
たとえば「好きな人に優しくしてもらうことの気持ちよさ」への依存症になると、少しでも優しくないと感じるたびに苦しみが生じ、相手との関係が険悪になる。
あるいは「仕事で目標を達成するうれしさ」への依存症になると、達成した瞬間の快楽がサーッと引いたのち、空しさという苦しみが生じる。依存症になる対象をつくる愚か者は取っかえひっかえ別のものに依存しては脳内麻薬を分泌し、自分から苦しみに近づいてゆく。
苦しみが生まれる元凶を見破ったなら、もはや依存症にかからぬよう、脳内麻薬が抜けていくのをじっと待つように。
小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)148項
まとめると、
・苦しみは、依存することによって生まれる
・依存したものは、常にそのままあり続けることはなく、変化するからである
・このことに気がついたなら、依存することのないように心穏やかに過ごそう
という内容です。
依存しきれるようなものは無い

私達は生活の中で、知らず知らずのうちに色々なものに依存しています。
それは、異性や組織、思想や物など様々です。
このことは、悪いことではありません。
むしろ、何かを頼ったり、誰かを信頼することはとても大切なことです。
しかし、私達が完全に頼り切って、依存的に生活できるものは何一つとしてありません。
全ては、移り変わっていくものだからです。
自分も愛情も組織も思想もモノも、ずっと変わらずそのままであり続けるということはありません。
この事実に全く気づかず、または無視し続けることは、悲劇的な苦しみの種になります。
自分自身まで投げ出して愛した恋人に別れを告げられたり、頼り切っていた会社やコミュニティがなくなったりしてしまうと、人生の生きる意味まで同時に失ってしまうこともあります。
これも人生経験だと言われるかもしれません。
しかし、やはり依存的になることは非常にリスクの高い行いだと思います。
では、依存症との付き合い方はどのようにすればよいのでしょうか?
依存症から離れるための、2つの拠り所をつくる

このようなとき、仏教では「自分」と「仏教の教え」の2つを、心の拠り所にしようと勧めます。
・「自分」を心の拠り所にするとは、
自分自身が自分を頼りにして生活するということです。
自分以外を信頼しないということではありません。
全てのことは移り変わっていきます。
自分の周囲はもちろん、自分自身も常に変化し続けています。
周囲のことをコントロールすることはできないことです。
そんな中でも、せめて自分自身を自分の意思でコントロールできるように、気持ちを整えることが大切であるという内容です。
・「仏教の教え」を心の拠り所にするとは、
お釈迦様がお説きになった、「この世の在り方」に常に目を向けて生活するということです。
教えを全て盲信するということではありません。
仏教には様々な種類の教えがあり、それは数え切れないほどあります。
初めは、自分の生活に合った「仏教の教え」を少しづつ学んで行くことが良いかと思います。
その中でも今回紹介しているものは、「依存は苦しみの根源である」ということと、「全ては移り変わる」というこの世の在り方です。
この「自分」と「仏教の教え」が、依存症の苦しみから離れているためにも非常に大切なことです。
まとめ

私達は、常に何かに依存して生活しています。
依存の度合いは様々ですが、最近ではスマホやSNS、お酒やタバコ、恋愛や組織など依存の対象は数え切れないほどあります。
なにかに依存することは必ずしも悪いことではありません。
心の休まる場所にもなりますし、生きる活力にもなり得ます。
しかし、私達には、全く依存しきれるようなものは存在しないというのが事実です。
全てのものは常に変化し続けています。
いつまでもお酒や愛情が、私達を安心させ続けてくれることはありません。
そして、依存できなくなる時が来ると同時に、非常に苦しい気持ちになります。
また、いつか失うかもしれないという気持ちだけでも知らず知らずのうちにストレスになり得ます。
では、依存することから離れているにはどうすればいいのか?
それは、「自分」と「仏教の教え」を心の拠り所にすることです。
変化の一部である「自分」ですが、せめてコントロールがつくものが自分でもあります。
その「自分」を常に律することで、依存していく心を抑えていかなければなりません。
また、「仏教の教え」は、無数に存在します。
今回紹介した教えは、「依存は苦しみの根源である」ということと、「全ては移り変わる」というこの世の在り方です。
依存を克服することは、時間を要するものです。
少しづつで良いので、「自分」と「仏教の教え」を心の拠り所にしていきましょう。



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