こんにちは🙏お照(Oshyo)です!
かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。
今回は、「罪悪感との付き合い方」について解説します。
ブッダの言葉とお照の視点から、簡単に分かりやすく説明します。
[結論▶解説▶まとめ]の順番です。
結論:懸命に生き、新たな人生を受け入れる

あなたは、自分が持っている罪悪感との付き合い方を意識しているでしょうか?
私達は生活している中で、ルールを破ってしまったり、他人に迷惑をかけてしまうことがあります。
このようなときに私達は、しばしば自分に対する嫌悪感と相手に対する申し訳無さでいっぱいになってしまいます。
そして同時に、罪を犯してしまったという罪悪感に苛まれます。
罪悪感は、外面的な罪の償いとは別に、内面的に生涯心のなかにとどまり続ける場合があります。
外面的な罪の償いは、
仕事でのミスなどは、補償や姿勢のあり方でカバーできることがあります。
犯罪行為は、法的な刑罰をうけることになります。
外面的に罪の償いが全く不可能なケースは、それほど多くはありません。
しかし、内面的な、つまり心の課題としての罪の償いは、罪悪感とともに生涯続くことがあります。
常にそのことを考えてしまったり、ふとした瞬間に強いストレスを感じたりします。
罪悪感という感情は、その人の誠実さにも関わりがあります。誠実な人ほど、罪悪感を感じやすくなる傾向にあります。
なので、罪悪感を感じることが悪いことでは決してありません。
罪悪感を糧として、人間的に成長できたという人はたくさんいます。
しかし、罪の意識で生活がままならなくなってしまうような状態は好ましくないでしょう。
約2500年前のインドでお釈迦様(ブッダ)は仏教を開かれました。
当時の人々の中にも、私達と同じように罪悪感に苛まれ続けている人がいました。
このような人々に対して、お釈迦様は次のように述べられました。

過去に君が罪を犯したのだとしたら、
君は懸命に修行を積み重ね、新たな人生を受け入れなさい
この言葉の意味は、どのようなものでしょうか?
以下に解説します↓
解説:あなたが罪悪感を感じるとき

罪を犯したことのある人に対して、お釈迦様は次のように詳しく述べられました。
たとえ、君が過去に罪を犯した者であっても
君がかつて一千人もの人々を刀で斬り殺して
被害者の指を集めて糸に通し、首飾りをつくる殺人鬼だったとしよう。
そんな罪を犯した君も懸命に修行を重ね、
ついには悟りを開くこととなった。
そんな君が難産に苦しむ婦人を見て
「ああ、苦しんでいてかわいそうに」と同情心が湧いたなら、
その夫人に近づいてこう言うといい。
「私は生まれてよりこのかた、
わざと生き物を殺したことはただの一度もありません」
それが嘘になるならこう言うといい。
「私は悟って人生が変わってよりこのかた、
わざと生き物を殺したことは、ただの一度もありません。
この不殺生の真実によって、
あなたとお腹の赤ちゃんが楽になり、安産となりますように」と。
小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)158項
まとめると、
・あなたは重大な罪を犯した
・しかし、懸命な修行の果に悟りを開いた
・そして、人生が変わったことによって、過去は洗い流された
・そのことによって、他者の幸福を願うことができた
という内容です。
心意気は変えられる

このお釈迦様の言葉だけを聞くと、修行して悟りを開かなければならないと気負ってしまうかもしれません。
これは殺人を犯してしている人を例に上げているので、一般の私達にはオーバーした内容といえます。
しかし、注目していただきたいところがあります。
人を殺す罪を犯したものでさえ、人生を変えることができたという点です。
これは、罪が全て許されるということではありません。
外面的な罪を許す許さないということは、他人が決めることですから。
しかしこの殺人者は、心からの懸命な修業を行いました。
そして、殺人を犯した自分でさえ、自分の人生を変えることに成功したと認識しています。
簡単に言い換えると、自分の心意気を変化させることに成功したということです。
新たな人生を受け入れても良い

私達は罪深い行いをしてしまうと、生涯この罪を背負っていかなければならないと感じます。
たとえ自分の心意気が変わったとしても、外面的な罪が許されるとは限りません。
しかし、心意気だけでも変えることは、非常に大切なことです。
お釈迦様の言葉にもあったとおり仏教では、たとえ罪を犯した者であっても心意気を変えることを許します。
多くの人が、罪悪感を感じると、自分の心意気を変えることも罪であると感じてしまいがちです。
自分は一生このまま苦しまなければ、罪の償いができないと考えてしまいます。
しかし、そんなことはありません。
もし心意気を変え、他人の幸福を願うことができたなら。
それは間違いなく良い行いであるといえます。
そのときすでにあなたは、過去のあなたではなく、人生が変わった人になっています。
そして、過去のあなたが自ら生み出していた罪悪感と決別できます。
まとめ

誰しも生活していると、ふいに罪悪感を覚えるような出来事に遭遇してしまいます。
罪悪感を感じることは、誠実な人に多く、決して悪いことではありません。
このような感覚があるからこそ、自ら成長しようと思えるきっかけにもなります。
しかし、常に罪悪感を感じ続けることは非常に苦しいものです。
それは、自分自身が、自分はこの罪悪感によって苦しみ続けなければならないと考えるからです。
ではそんな自分には、選択肢は無いのでしょうか?
仏教では、懸命な修業によって心意気を変え、人生を変えることを是としています。
これによって、世間的な罪が許されるわけではありません。
しかし、あなた自身が心意気を変え、人生を好転させることを望むこと。
それは、全く悪いことではないのです。



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