昨年の夏頃だったかと思われます。
近くの地域に住む、とある女性が妙楽寺を訪れられました。
以前から、訪れてみたかったお寺だったと仰られていました。
よく知らないお寺を訪れるのはやはり少し勇気のいることだったと思われますが、有難いことに綺麗なお寺だと喜んでくださいました。
後にその女性の知人の方がお寺を訪ねて来られました。(旦那様→知人の方 2023/1/16訂正)
この方が丹波新聞にも載っていらっしゃる木村晴夫さんです。
その女性に勧められて参拝されたようですが、晴夫さんも非常に喜んでくださいました。
そして、その参拝の最中に「発見」されたのが、このさざれ石でした。
さざれ石の「発見」
「発見」と言いましたのは、もちろん私はこのお寺に住んでいる者ですので、この石の存在を知っていましたが、あまり注意深く見たことは無かったのです。
「あぁ、さざれ石が置いてあるな」と思う程度でした。
晴夫さんに言われて初めて「人の横顔にも見える」と感じました。
私が1つ言えることは、言われてみなければ生涯「人の顔」だとは見れなかったであろうということです。
私たちは、普段から日常的に目にしている物事は、意識の中から排除されていくという性質を持っています。
これは、脳の情報処理の効率化とも言え、普通に生活していくのに必要な能力です。
いわゆる「慣れ」というものでして、そこに確かに存在しているのに全く気付けなくなります。
このようなことは、誰しも日常茶飯事に起きていることで、私もこのさざれ石に対して「慣れ」が起きていたようです。
その為、このさざれ石は石とさえも思わず、視界に入っても「気づいていない」状態にありました。
このような意識でいたので、指摘されて初めて、人の顔にも見えると感じました。
ここで多くの方は「それは目の錯覚ではないか」と思われたかもしれません。
やはり、普通に考えれば「目の錯覚」と言えるでしょう。
しかし、ここで気づかなければならないことは、私自身もそもそも「目の錯覚」に陥っていたということです。
なぜなら、私は普段の生活の中でその石を視界に入れながらも、「見えてさえいなかった」のですから。
赤子のような目で見る
仏教の知恵の中に、「赤子のような目で世界を見る」という話があります。
赤ちゃんは産まれて初めて世界を見るので、当然「慣れ」てもいないし、事前の知識もないので「錯覚」も起きないと考えられます。
石はそのありのままの姿に写り、木は木のありのままの姿で見られます。
成長するにつれ、多くのことを知るようになるのですが、同時に「ありのまま」は見えなくなっていきます。
このありのままを見ようとするのが仏教の目的とも言えます。
そして、残念ながら私には「ありのままのさざれ石」は見えていなかったのですが、そこに新たな視点を持ってきてくださったのが晴夫さんでした。
しかも、人の顔にも見えるという、楽しい視点を届けてくださったことに大変感謝しています。
やはり、どうしても1人では気付けない視点が沢山あります。
このような閃きや発想は「人」にしかできない貴重な能力です。
様々な人がいることによって、小さな発見から豊かな社会環境が生まれるのだと思います。
最近では、認知科学の発展により「目の錯覚」や「脳の錯覚」といった話題が取り上げられます。
やはり、人は錯覚する生き物だと思いますが、錯覚を要らないものと割り切ることは、ただの盲目と言えます。
それでは、人の生活は一切成り立たなくなってしまいます。
たとえ錯覚だとしても、そのことを知りながらも楽しむことこそが、本当の心の豊かさと言えるのではないでしょうか。
仏教ではこの心持ちを「中道」と呼び、最も大切なことだと考えています。
この石の顔を見つけてくださって、ありがとうございました!
さざれ石から考える『君が代』と日本
追記
晴夫さんとの会話の中で、「さざれ石と言えば、やはり国歌が思い出される」といった話がありましたので、
「さざれ石と日本」というテーマで、個人的な見解を書かせていただきます。
ここまで、大きな石の塊をさざれ石と読んでいましたが、詳しくは「巌(いわお)」です。
さざれ石は「小さな石粒」の意です。
『君が代』の歌詞にある通り、さざれ石が長い年月を経て沢山集まって出来上がった集合体が巌です。
ここから想像力を膨らませると、
さざれ石は一人ひとりのことであり、長い年月をかけて自然と人々が社会を作り結びついたものが一つの巌になるという、国のストーリが比喩的に表されていると感じます。
そして歌の最後は、「苔のむすまで」となっており、巌が自然のまま長く長く続くことを願っていると読み取りました。
海外の国歌は、平和・安定・国土・正義・自由・発展など明確な目標を掲げるのに対して、日本の国歌はゴールを設けていない特徴があると思います。
大きな目標を掲げるのではなく、人々が集まり結びつき自然体で長く続いていくという、非常に穏やかな内容となっているのではないかと感じます。
大きな成長のみを最大の目標とするこれまでの世界の価値観に、一石投じる内容ではないかと思いました。



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