【ブッダの言葉】自己顕示欲への対処法【簡単で分かりやすい生活仏教】

法話

 こんにちは🙏お照(Oshyo)です。

 かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。
 

 今回は、「自己顕示欲への対処法」について解説します。

 ブッダの言葉と私の視点から、簡単に分かりやすく話していこうと思います。

 [結論▶解説▶まとめ]の順番です。

結論:自己顕示欲は終わりがないことを自覚する

 はじめに質問です。

 あなたは、自分の事ばかり良く見せようとする人に会ったことがあるでしょうか?

 

 私達は普段の生活の中で、人からよく見られたいと常々感じています。

 人から尊敬されたい、褒められたい、大切にされたいと思うことは多くの人にとって当たり前の感情です。

 私自身も、人から必要とされたいと頭の隅でも常々考えています。

 

 これらの感情を持つことは悪いことではありません。

 しかし、このような「自己顕示欲じこけんじよく」とよばれる欲求は、しばしば人を苦しめる元にもなります。

 なぜなら、満たされて満足し難い欲だからです。

 

 

 2500年前にお釈迦様が、インドで仏教を始められました。

 その時代にも私達と同じように、満たされない自己顕示欲で苦しんでいる人々がいました。

 お釈迦様は、このような問題に対して以下のように答えられています。

<strong>お釈迦様</strong>
お釈迦様

愚かな人は、自分の成し遂げたことをひけらかそうとする。

その行いによって、自ら収まりのつかない欲望を肥大させてゆく。

 この言葉の意味を分かりやすく解説していきます↓

解説:成し遂げることは破滅への道でもある

 「自己顕示欲が満たされない」という問題に対して、次のお釈迦様の言葉を参考にしていきます。

愚か者が何かを成し遂げると

何がしかのことを成し遂げると、愚か者はすぐに、

「ねぇ、私は、こんなことをしたんだよ」と言い、

「尊敬されたい」

 「他人をペコペコさせたい」

「チヤホヤしてもらいたい」

と、物欲しさと浅ましさをむき出しにする。

「みんなに私のしたことをわかってほしい」

「みんなに私の言うとおりにしてほしい」

こんな幼稚な物欲しさにまみれつつ、

愚か者の欲望と放漫さプライド

ぶくぶくと肥え太ってゆくだろう

小池龍之介『超訳 ブッの言葉』(2011)28項

まとめると、

・何かを成し遂げた際に、他人の評価を要求する人は愚か者である

・そして、評価して欲しいという欲求に染まり、欲望と放漫さは膨れ上がる

という内容です。

評価されることは気持ちが良い

 そもそも、私達が何かを成し遂げようとする時には何を考えるでしょうか?

 おそらくですが、私を含め多くの人が、成功の報酬と人からの称賛ではないかと思います。

 そのために、何か事を成そうとするのだとも言えます。

 

 人からの称賛は非常に気持ちの良いものです。

 褒められたり、評価されたり、熱狂や歓声の的になることは、生きている上で最大の至福と感じるかもしれません。

 できることなら、そのような機会が沢山ある生活を望むことも当たり前かと思います。

 そして、このような喜びの経験が自分の生きる意味になったりもします。

 

 これらは別段に、悪い感情ではありません。

 普通に生活していれば、普通に感じる感覚だと思います。

 そして、このことによって幸せを感じることも当たり前のことです。

 

称賛は更に欲しくなる

 ただ、気をつけなければならないことがあります。

 それは、「もっと欲しくなってしまう」ということです。

 

 私達が、何かを成し遂げたときには、それ相応の称賛が周囲からあります。

 この快感は一度味わうと、なかなかに忘れがたいものです。

 そして大概の場合、一度の経験では満足なりません。

 次を欲しがるようになるからです。

 それは、周囲のプレッシャーからかもしれませんし、自分の願望からかもしれません。

 

満たされない欲は苦しみへ続いている

 多くの人は声に出して「尊敬してほしい」「チヤホヤしてほしい」とは言わないでしょう。

 しかし、内心では「私のしたことをわかってほしい」と思いますし、「私の言うとおりにしてほしい」とも思います。

 これもあくまで一般的な感覚なのですが、十分に気をつけなければなりません。

 

 お釈迦様の言葉では、欲望や放漫さが肥え太ってゆくと表現れています。

 これは言い換えると、そのままの気持ちの状態ではいられなくなるということです。

 肥え太ってゆく「わかってほしい」や「言うとおりにしてほしい」という感情を満たすべく、さらに多くのものを望むようになります。

 そしてそれを満たすべく、さらに自分の欲望を駆り立てます。

 この様になってしまうと、私達がはじめに望んだ幸せとはかけ離れ、欲望に追い立てられる生活になります

 常に何かを成し遂げ評価されることに目が行き、本来望んでいたはずの心が満たされた状態から遠のいていきます。

 これは、私達の望むような生活とは言えないでしょう。

 

まずは自覚することから

 ただ、私達は普段からこのようにあります。

 まずは、お釈迦様の言葉の内容を自覚することかから始めなければなりません。 

 生活していると物事を進めて成し遂げていく必要があります。

 その時、欲望と放漫さはドンドンと大きくなっていくことに目を向けるようにします。

 この事実を素直に見つめることで、自制する心を育てて行きましょう。

まとめ

 私達は普段から、周囲の評価や称賛を気にしながら生活しています。

 特に良い評判は欲しいですし、それを求めようともします。

 この求める心を「自己顕示欲」ともいいます。

 

 お釈迦様の言葉では、この自己顕示欲といえる「尊敬されたい」「みんなに私の言うとおりにしてほしい」という気持ちは、欲望や放漫さをどんどんと増大させるということでした。

 私達の経験からも言えるように、一度褒められたり評価されたりすると気持ちがいいので、次も欲しくなります。

 この自己顕示欲が満たされる快感は、際限なく求めるようになります。

 

 自己顕示欲を満たすことが、特別に悪いということではありません。

 このこと自体は人生の幸せとも言えますし、生きる価値というものを与えてくれるかもしれません。

 しかし、何かを成し遂げようとしていたのに、自己顕示欲を満たすことに目的が変わってしまうと、だんだんと苦しくなってしまいます。

 欲求が際限なく湧いてくるからです。

 まずは、この自覚から始めなければなりません。

 

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