【ブッダの言葉】他人を攻撃する理由【簡単で分かりやすい生活仏教】

法話

 こんにちは🙏お照(Oshyo)です。

 かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。
 

 今回は、「他人を攻撃する理由」について解説します。

 ブッダの言葉と私の視点から、簡単に分かりやすく話していこうと思います。

 [結論▶解説▶まとめ]の順番です。

結論:「死にたくない」という生存本能が攻撃の種

 はじめに質問です。

 あなたは、他の人から攻撃的な態度をとられたことがあるでしょうか?

 

 他の人からきつい態度で当たられたり、酷い言葉を投げかけられた経験があるかもしれません。

 私自身、マルチタスクがあまり得意ではなく、他の人からどやされた経験があります。

 

 このようなとき、事の大きさ以上に、責められることがあります。

 問題の内容に関係なく、必要以上に感情的に攻撃される場合です。

 街中の喫茶店などでも、変に店員さんに当たりの強い人を見かけたことがあるかと思います。

 

 2500年前にお釈迦様が、インドで仏教を始められました。

 その時代にも私達と同じように、攻撃的な人に苦しんでいる人々がいました。

 お釈迦様は、このような問題に対して以下のように答えられています。

<strong>お釈迦様</strong>
お釈迦様

全ての生き物は「死にたくない」と思っています。

そして同時に、死から逃れるための生存本能を持っています。

この生存本能が、攻撃の種です。

このことに気付き、争わないように。

この言葉の意味を分かりやすく解説していきます↓

解説:みんな死にたくないと思っている

「攻撃的な人に苦しんでいる」という問題に対して、次のお釈迦様の言葉を参考にしていきます。

すべての生き物は、死にたくないと思っている

 この世のすべての生き物は、ミジンコもバクテリアも、キリンもネコもイヌも、エビもアリンコも、餓鬼もインフルエンザウイルスも、人間もダンゴムシもムササビも、みんな、攻撃されるのを恐がっている。

 すべての生き物は、死から逃れる生存本能に支配されてあがいている。

 君もまた「死にたくない」という思いを胸の奥底に隠し持っている。

 「実は他の全ての生き物も同じ思いを隠し持っているのだろうな」と、目を閉じて思いを馳せたなら、どんな生き物をもわざとは殺さず、そして殺させないように。

小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)159項

まとめると、

・どんな生き物でも、攻撃されるのを恐がっている

・私達も、死から逃れる生存本能に支配されている

・「死にたくない」という本能を、全ての生き物が持っていることに配慮しなければならない

という内容です。

普段は死をしっかり考えていない

 私達は、死を恐れる生存本能に支配されています。

 と、言われてもあまり実感が湧いてこないと思います。

 

 実際、私達は常に自分の死をイメージし、恐怖して生活しているわけではありません。

 普通はあまり考えたくもないようなことですし、死を身近に感じるような機会はなかなか無いです。

 私達のほとんどは、直接的に「自分の死」を考えようとはしません。

 

死ぬことは分かっている

 しかし、私達の誰一人として、自分が死から逃れられると思っている人はいません。

 「自分は死なない!」というような人はいないでしょう。

 私達はいつも何か不安のようなものを感じています。

 身の回りは危険が沢山ありますし、財産や信頼・職業などを失うような「社会的な死」は身近です。

 それは、直接的に「自分の死」を感じているというより、ぼんやりとですが、遠回しで「自分の死」を感じでいる状態と言えます。

 

ぼんやりとした死の意識

 この、ぼんやりと「自分の死」を意識している状態ですが、私達の普段の生活の中でも影響が強く現れてきます。

 それが、自分が他の誰かから攻撃されそうになったときです。

 例えば、嘘がバレそうになったり、責任を負わされそうになったりする。

 そういった時に、つい、事の原因を攻撃して、自分の生存本能に従った行動をします。

 

 これは、遠回しに「自分の死」を感じ取り、自分の生存を求めようとする行いです。

 ただし、これは必ずしも悪い行いであるとは言い切れません。

 私達が生きていこうとすると、必ず出会ってしまう出来事です。

 生存本能が全く働かなければ、どこかで死んでしまうでしょう。

 

みんな死にたくない

 ここで、注意しなければならないことが、みんなぼんやりと「死したくない」と思っているということです。

 決してあなただけが生存本能を持っているわけではなく、周りの人も同じような状態にあります。

 表立って、「私は死にたくないです」と主張している人は殆どいません。

 多くの人が、無自覚のうちにも「死にたくない」という生存本能を抱いて生きています。

 

 これは、私達が注意して見なければ、案外、簡単に見過ごされてしまいます。

 「自分だけが死にたくない」のではなく、「あの人も、この人も死にたくない」ということに意識を向けましょう。

 そうすることで、他人を安易に攻撃してはいけない理由や、なぜ自分が攻撃された時に反発した感情を覚えるかが分かります。

 

まとめ

 私達は普段の生活の中で、他の人に攻撃的な態度を向けたり、向けられたりすることがあります。

 私達がこのような攻撃性を持つ原因に、「死にたくない」という生存本能の働きがあります。

 

 この生存本能は、常に意識されているわけではなく、普段は心の奥底に隠れています。

 そして、自分の身に危険が迫ると、いきなり顔を出します。

 それは、実際に身体に傷を負うような場合だけではありません。

 自分に責任や損失が降りかかりそうなときや、他者との優位性を失いそうなときなどにも、生存本能は出てきます。

 しかし、実際には生存本能がなければ、生きていくことは困難です。

 そして、それを失くしてしまうことも非常に難しい。

 

 私達が気をつけなければならないことは、この「死にたくない」という生存本能を誰もが持っているということに気づいていることです。

 どうして、自分は攻撃的になってしまうのか、あの人は攻撃的に迫ってくるのか?

 この疑問を解消するには、私達の根っこの部分に、「死にたくない」という思いが常に見え隠れしているということに気づいていなければなりません。

 そして、この気付きを得られたなら、攻撃性に触れた時、慌てずに対処できるようになります。

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