こんにちは🙏お照(Oshyo)です。
かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。
今回は、「思い悩んだときの応急薬」について解説します。
ブッダの言葉と私の視点から、簡単に分かりやすく話していこうと思います。
[結論▶解説▶まとめ]の順番です。
結論:私達の身体にできることは、少ないことに気付く

はじめに質問です。
あなたは普段から、なにか思い悩むことが多いでしょうか?
現代の情報溢れる社会となり、私達は考えなければならないことがとても多くなりました。
SNSや不安を煽るようなニュースで、不安になることは多いと思います。
その分だけ、なにかを思い詰めるような機会も増えてしまいます。
2500年前にお釈迦様が、インドで仏教を始められました。
その時代にも私達と同じように、思い悩んで苦しんでいる人々がいました。
お釈迦様は、このような問題に対して以下のように答えられています。

私達にできる動作は「歩く・立つ・坐る・ねころぶ・筋肉の収縮」だけです。
どれほど立派な身体や能力があっても、できることはこれだけです。
この言葉の意味を分かりやすく解説していきます↓
解説:身体にできることは、実は少ない

「思い悩んでしまって苦しい」という問題に対して、次のお釈迦様の言葉を参考にしていきます。
これだけしかできない身体という城
外的には、歩く、立つ、坐る、寝る。
内的には、筋肉が伸びる、縮む。
君の、一見すると立派そうなこの身体にできることは、究極的にはしょせんたったこれだけしかない。
小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)142項
まとめると、
・私達にできる身体を使った動作は、「歩く・立つ・坐る・ねころぶ・筋肉の収縮」だけ
・優秀だと思っていた身体は、本当はこれだけしかできない
という内容です。
人は考える生き物

このお釈迦様さまの言葉は、非常に突飛な考えに聞こえると思います。
実際に私達は普段から、目で見て耳で聞き、様々な情報を受け取りながら思考しています。
ときには宗教的・哲学的な、崇高な思想に思いを巡らせます。
人は他の動物に比べ、明らかに考える・想像することに優れています。
そのおかげで、農業を行い、工場を作り、スマホを使いこなすようになりました。
文明や社会が発達するほどに、私達人間はすごい生き物だと考えるようになりました。
実際にすごい生き物なのでしょう。
実際にできることは身体の動きのみ

しかし、一つ考えて欲しいことがあります。
私達は脳で思考します。
では、脳が現代社会を作ったのでしょうか?
たとえ話としては、脳が社会を作ったと言えるかもしれませんが、そうではありません。
鍬で畑を耕す全身の動きから、クレーンを操作する腕の動き、スマホをタップする指の動き。
全ては脳の指示で動いていますが、できる動作は、全身の動きや筋肉の収縮のみです。
それ以外にできる動作はありません。
例えばです。
今私は、パソコンでこの文章を書いています。
世の中の人が、仏教の知識を手に入れられる場を作っておこうと思うからです。
しかし、こんな私の思想とは関係なく、実際にしている動作は、指先を右や左へ移動させているだけです。
考えることと身体のギャップ

私達はインターネット社会に産まれ、情報を途絶えること無く脳に詰め込んでいます。
昔は、自分の生活と近所のことを考えていればよかったのですが、今ではそうは行きません。
考えなければならないことが増えすぎたのです。
しかし、身体はどうでしょうか?
大昔から、相変わらずできる動作は変わっていません。
「歩く・立つ・坐る・ねころぶ・筋肉の収縮」だけです。
情報化社会によって、明らかに私達の思考や想像は肥大化しました。
それによって、思い悩むことも増えたと感じます。
しかし、私達がどれだけ思い悩み考えたとしても、できる動作は「歩く・立つ・坐る・ねころぶ・筋肉の収縮」だけです。
私達は、たまにこの事実に立ち返る必要があると思います。
忘れてはいけない事実

人の可能性を軽んじるわけではありません。
これだけの動作で、この社会を創り上げたのですから。
ただ、思い詰めて苦しくなることがあったら、この究極的な事実を思い返して下さい。
私達にできる動作は、誰でもどんな時代でも「歩く・立つ・坐る・ねころぶ・筋肉の収縮」だけです。
まとめ

現代の情報が溢れる社会となり、私達は思い悩むことが増えました。
SNSやスマホの普及などによって、私達が考えないといけないことが飛躍的に増えたことにも原因があると思います。
知識や道具が増えて、できることも多くなりました。
しかし、究極的には、私達自身にできる動作は大昔から全く変わっていません。
「歩く・立つ・坐る・ねころぶ・筋肉の収縮」だけです。
どれだけ知識や道具が増えて、できることが多くなったと思っても、私達が行うことができる動作はこれだけです。
頭で考え想像することはいくらでもできます。
しかし、深く思い悩んだり、不安に囚われても、実際にできる動作は非常に少ないのです。
考えることが無意味だとか、人の可能性を否定しようということではありません。
もし、あなたが思い悩んでしまったときに。
究極的にはこの事実があるということを、思い返してみて欲しいと思います。
すると、スッと心が楽になります。



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