こんにちは🙏お照(Oshyo)です。
かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。
今回は、「友達がいないときの姿勢」について解説します。
ブッダの言葉と私の視点から、簡単に分かりやすく説明します。
[結論▶解説▶まとめ]の順番です。
結論:あなた自身を頼りとして、堂々と一人で歩む

友達がいない。気の合う友達ができない。
こういった悩みを持つ人は、多いと思います。
あなたもその一人かもしれません。
私自身も学生時代は、それほど友達は多くはありませんでした。
現代では、友人関係にはクールな人が増えたとも言われます。
関係性の煩わしさに悩む人は、多く見かけるようになったと感じます。
そんな中で、友だちがいる、いないといった話を良く耳にします。
2500年前にお釈迦様が、インドで仏教を始められました。
この時代にも私達と同じように、友人関係で困っている人々がいました。
お釈迦様は、そのような問題に対してこのように答えられています。

君に、一緒に心の成長に励める友達がいないのなら。
あなた自身を頼りとして、堂々と一人で歩むと良いでしょう。
この言葉の意味を深く解説していきます↓
解説:「善き友」がいないなら、堂々と独りでいる

「友達がいないときにはどうすれば良いか?」という疑問に対して、お釈迦様は次のように詳しく答えられました。
心の改善を目指す友と出会えなかったら
もし君が、人生の道のりを歩むにあたって、
心の改善を目指す友に会わないなら。
ともに心の成長に励める、そんな貴重な友に出会えないなら。
せっかく征服した国を惜しみなくさらっと捨てる王様みたいに、
ただ独りぼっちで歩むのが潔い。
まるでインド犀の頭に一本だけシャキンと突き出た角のように。
小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)87項
まとめると、
・一緒に成長できるような友達に出会えない場合。
・そんなときは、一人で堂々と生きてゆこう。
・あなたにとって、悪い友とは離れてくらそう。
という内容です。
良い友達は、一緒に心の成長に励める人

お釈迦様の言葉の「友」とは、「ともに心の成長に励める」ような人のことのことです。
「ともに心の成長に励める」ような人とはどのような人でしょうか?
人間関係にはいろいろな形があります。
友人や知人、先輩や上司、後輩や部下、親や子供など様々です。
これらの関係性には、上下の関係がつきものです。
しかし、「ともに心の成長に励める」という視点を持つと、どのような関係であっても「友」になることは可能です。
どちらか一方が、もう一方に依存するわけではありません。
お互いに自立した個人として接することで、お互いの成長を望めます。
こちらの記事は、
「ともに心の成長に励める」友とはどのようなものなのか参考になると思います(読まなくても理解に差し支えありません)↓
独りで歩むという選択

では、「ともに心の成長に励める」友が、あなたの前に現れなかったときはどうすればよいのでしょうか?
その答えは、
「あなた自身を頼りとして、堂々と一人で歩む」ということです。
お釈迦様の言葉の中では、「動物のサイの一本角のように、誇らしく堂々と歩め」と例えられています。
言い換えると、友達を作ることにこだわらないことを勧めています。
上記で述べたような、「善い友」に出会えることは非常に幸運です。
関わってはいけない友人

それとは反対に、「悪しき友」もいます。
あなたが成長することを阻むような言動を行う人のことです。
「悪しき友」は、あなたに良い影響をもたらしません。
単に友達を求めてしまうようになってしまう。
そうすると、このような「悪しき友」に近づいてしまいやすくなります。
「あなた自身を頼りとして、堂々と一人で歩む」というスタンスを崩さなければ、あなた自身の成長をむやみに妨げられることはなくなります。
まとめ

友達がいないという悩みは多いです。
仏教では、決して独りでいることは悪いとは考えません。
しかし、「ともに心の成長に励める」ような人と会える機会は貴重です。
そのようなときは、積極的に関わるようにすると良いです。
反対に、あなたの心の成長を阻むような人とは離れているようにしましょう。
無理に友達を得ようとして、そのような人に近づくと苦しい気持ちになることが増えるからです。
「ともに心の成長に励める」ような人と出会えない場合。
そんなときは、あなた自身を頼りとして、堂々と一人で歩むようにしましょう。
独りでいることにこだわらない。
また、独りでいても良いと考える。
友達に固執しすぎず、心の成長に励むことを生活の中心にしましょう。




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