【ブッダの言葉】こだわりとの付き合い方【簡単で分かりやすい生活仏教】

法話

 こんにちは🙏お照(Oshyo)です。

 かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。

 今回は、「こだわりとの付き合い方」について解説します。

 ブッダの言葉と私の視点から、簡単に分かりやすく説明します。

 [結論▶解説▶まとめ]の順番です。

結論:自分へのこだわりの前に身体をよく見る

 

 あなたは、自分へのこだわりを持っているでしょうか?

 

 最近では、自分らしさの追求やアピール、自分に最適な職業探しなど、自分のこだわりを持って、それを追求することに価値が見いだされています。

 自分自身のこだわりを持って行動することは、自分を成功へ導くこととも結び付きがあり、決して悪いことではないです。

 

 しかし、こだわりが強すぎるあまり、心が疲れてしまうことがあります。いわゆる、燃え尽きや鬱に近い状態です。

 このようなときは、自分のこだわりや思考に注意を向けるのではなく、肉体としての身体に注目する必要があります。

 そうすることで、こだわりの肥大化を防ぐことができます。

 

 お釈迦様が仏教を始められた時代にも、同じように「自分へのこだわりによって苦しむ人」が存在しました。

 このような人に対して、お釈迦様は次のように答えられました。

<strong>お釈迦様</strong>
お釈迦様

人は、自分のこだわりを主張したがります。

私達はその前に、身体は非常にもろく崩れやすい「骨と肉の城」であることに気が付かねばなりません。

 

 この言葉を詳しく解説していきます↓

解説:こだわりを防ぐため、自分の事実に気付く

 お釈迦様は、自分へのこだわりを持つ前に、次のことに気をつけるようにと述べられました。

このもろく壊れやすい身体という城

 偉そうに「自我」だとか「人間様」だとか、思い上がっている君の身体は、しょせん骨と腱を組み立てて、生肉と皮膚で表面を覆って作り上げた壊れやすい城にすぎない。

 その血だらけの城の中には、刻一刻と細胞が老いてゆく老化現象と、細胞が死滅してゆく死亡現象と、自分を実際よりステキだと思い込むナルシズムと、君が嘘をついている寂しい秘密などなどが、ぎっしりひしめき合っている。

小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)141項

 まとめると、

・自我などの、「自分」ということへのこだわりを私達は持っている

・しかし、私達はどこまで行っても「骨と肉」でできた構造物である

・このことを忘れ去って、自分のこだわりなどの崇高さを主張することは愚かである

という内容です。

 

身体の事実に目を向けると楽になる

 この内容は、ずいぶんと辛辣な内容に感じますよね?

 しかし、私達はついつい自分のこだわりにとらわれ、綺麗に着飾り、崇高な思想を持って、思い上がりが生じてしまいます。

 思い上がりが生じると、さらに自分のこだわりが肥大化していきます。

 この終わりのないこだわりの肥大化によって、だんだんと窮屈になって苦しくなってきます。

 あなたも、このような経験をしたことがあるのではないでしょうか?

 

 このようなときに必要となるのが、「自分の身体をよく見る」ことです。

 自分自身を、客観的に見るとも言いかえられます。

 自分のこだわりという世界の中から飛び出して、自分を外から見てみる。

 こうすることで、自分は「もろい肉と骨」であるという事実に立ち返ることができます。

 

 

 ただし、人間の精神を卑下しているのではありません。

 私達の基本的な構造は「もろい肉と骨」である、という単純な事実に立ち返ることで、自分のこだわりによって自分自身の首を締め付けてしまうことを防ぐことができるのです。

 

まとめ

 自分へのこだわりを持ち、成功を求め続けることは一つの人生だと思います。

 しかし、こだわりがどんどん肥大化していくと、だんだん自分自身で苦しくなってしまうものです。

 これを防ぐためにも、私達の身体の事実に目を向けるようにしましょう。

 すると、私達は「もろい肉と骨」でできあがった構造物によって生きていると、究極的に自分を客観視することができます。

 この事実に立ち返ることは、あなた自身のこだわりから、あなたを開放してくれるきっかけとなるでしょう。

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