【ブッダの言葉】断捨離と仏教【簡単で分かりやすい生活仏教】

法話

 こんにちは!お照(Oshyo)です🙏
 かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。


 今回は「持ち物という執着を手放す」について、仏教とお照の視点から[結論▶解説▶まとめ]の順に、簡単で分かりやすく説明します。

結論:「私のものである」という見方を手放す

 

 あなたは、自分の持ち物にストレスを感じたことがあるでしょうか?

 

 最近、ちまたでは「断捨離」が流行っていますね。

 大量生産・大量消費の社会の反動で、持ち物をなるべく持たないというライフスタイルが好まれるようになってきました。

 あなたも、自分の周りに物が増えすぎて、物を捨てたい衝動に駆られたことがあるかもしれません。

 

 断捨離はヨガの考え方の1つです。

 仏教とヨガは別物であると言われますが、「物に執着しないようにしよう」という考え方は同じような指針を持っていると言えます。

 お釈迦様が仏教を始められた時代にも、自分の持ち物に執着し、それによってストレスを抱えるという苦悩がありました。

 

 このような悩みに、お釈迦様は次のように答えられました。

お釈迦様
お釈迦様

 「これは自分の持ち物である」とこだわると、それがストレスの原因となります。

 だから、私は持ち物に執着しないのです

 

ではどうして、持ち物に執着するとストレスとなるのでしょうか?

 以下に解説します↓

解説:どうして持ち物に執着するとストレスになるのか?

どうして持ち物に執着するとストレスになるのか?」という疑問に対して、お釈迦様は次のように詳しく答えられています。

持ちものに執着しない

 君よ、は持ちものに執着しない。

 ゆえに、もしブランド品の服をなくしたとしても、「何日も探し回っているのに見つからない。困った困った」とイライラすることは決してない。

 ゆえに、私はしあわせ。

小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)104項

 まとめると、

・持ち物に執着しない

・なぜなら、失ったときにストレスになるから

という内容です。

「執着しない=捨てる」か?

 「持ち物に執着しない」と言われても、簡単にはイメージしづらいと思います。

 「執着しなければ、すべて捨てることになるのか?」とも捉えられます。

 

 実際に、持ち物を全て処分することはできます。

 しかし、あなた自身の身体についてはどうでしょうか?

 自分の身体は持ち物ではない!と思われるかもしれませんが、食べ物を取り込み、メンテナンスし、生涯連れ添う「持ち物」とも言えると思います。

 自分の身体は捨てることはできなさそうです。

 自分の精神についてもそうです。

 持ち物を捨てることが目的となってしまうと、むしろ捨てることに執着してしまう。そして、物が増える事自体に、ストレスを余計に感じるようになってしまいます。

 

 ではどうすればよいのでしょうか?

「私の物である」という見方を手放す

 結局、「執着しない=捨てる」ではなく、「執着しない=私の物だと思うことを止める」ことだと思います。

「〇〇が多くて邪魔!」「〇〇が無くて寂しい、、、」と感じることは、その物に対して「私のものであってほしい、ほしくない」と、こだわりがあるからです。

 この考え方から抜け出して、「なにものも、私の物であるとは思わない」と考えを改めると、物を持つというストレスから距離を置くことができます。

まとめ

 物が溢れる社会となり、「断捨離」が注目されるようになりました。

 断捨離と聞くと、物を捨てる事自体に注意が向きがちです。しかし、断捨離はヨガの精神修行の一つでもあります。

 お釈迦様の言葉にもあるように、自分の持ち物に対して「これは自分の物である」と、こだわりを持ってしまうとストレスが生まれるようになります。

 

 なぜなら、人は「自分の物」を持ってしまうと、失ってしまったり、将来失うことを考えてしまい嫌な気持ちになるからです。

 また、捨てることの意識を強めても、あなたの「持ち物に対する執着」が抑えられないのならば、本当の「断捨離」の効果は得られないでしょう。

 たとえ、自分の持ち物であったとしても、「物を持っていること自体の執着」を手放すように心がけましょう。

 

  

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