【ブッダの言葉】自分とは何か?【簡単で分かりやすい生活仏教】

法話

こんにちは!お照(Oshyo)です🙏
かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。
今回は「自分とは何か?」について、仏教とお照の視点から[結論▶解説▶まとめ]の順で説明します。

結論:自分とは、これまで自分の心が思ったことの集合体

 あなたは、生活のふとした瞬間や、人生に行き詰まったとき、「自分とは何なんだろうか?」と考えたことがあるでしょうか?

 生きていればきっかけは何であれ、「自分とは何か?」という疑問が目の前に立ち現れる瞬間があります。

 このとき深く自分について考えてみることは、とても有意義です。

 しかし、これが根深い苦悩になってしまうと非常に辛くなってしまいます。

 2500年前にインドでお釈迦様が仏教を始められた時代にも、「自分とは何か?」という、私達と同じ悩みを持つ人達がいました。

 この悩みに対し、お釈迦様は「自分とは、これまで自分の心が思ったことの集合体です」と、答えられました。

 この意味について、今から分かりやすく解説します。

解説:「自分とは何か?」とお釈迦様

 「自分とはいったい何なのか?」という疑問に対して、お釈迦様は次のように詳しく答えられました。

君は、これまで君の心が思ったことの集合体

君という存在は、過去に「何を考えたか」によって、その考えたり感じたりした内容が、ひとつひとつ心に蓄積されミックスされた結果のつぎはぎとして、今、ここに立っている。

すなわち君とは、これまで君の心が思ったことの集合体。

(中略)

すべては心が思うことから生まれ、すべては心が思うことによって創られる。

ゆえにネガティブな心によってイヤな話をしたり、ネガティブな心によってイヤな行動をしたりするならば、必ずや苦しみストレスが自分についてくるだろう。

優しくポジティブな心で話したり行動したりするなら、必ず安らぎが自分についてくる。

そう、影が君の歩く後ろから必ずついてくるかのごとく。

小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)063項

まとめると、

・あなたが過去に経験し考えたことが、今のあなた自身を創っている。

・悪いことを考えると悪い自分、良いことを考えるとその分だけ良い自分が出来上がる。

という内容です。

自分自身は定められたものではなく、自分の思考が創り上げる

 お釈迦様は「自分とは何か?」という疑問に対して、「過去に経験し考えたことの集合体」であると答えられました。

 私自身、非常に至極単純で明快な答えだと思います。

 自分自身を、運命づけられた存在と見なすわけではなく、あくまで自分の考えと行動によって、自分だと思っているものが出来上がるのだと考えます。

(少し歴史のお話)

 少し仏教の歴史の話になりますが、上記の考え方は仏教の始まった経緯にも関わります。

 紀元前約500年前に仏教が始まる以前からインドには、階級によって全ての人々を区別する制度がありました(カースト制度)。この階級は生まれたところによって決められ、生涯で階級が変わることはありませんでした。

 この階級制度に対する存在として、仏教が生まれたという経緯があります。

 そのため仏教では、「生まれによって人の価値が決まるのではない。行いによって決まるのである。」という考えを持っています。

 なので、仏教では修行という行動をしますし、経験や物事の考え方を非常に大切にします。その事によって、「自分」という内容が決まっていくと考えます。

まとめ

 仏教は、「生まれによって人の価値が決まるのではない。行いによって決まるのである。」という考えを持って生まれました。このような歴史的経緯もあり、

仏教では「自分とは何か?」という疑問に対して、

自分とは、これまで自分の心が思ったことの集合体」

であるという解答をします。

 イヤなことを考える自分がいると、イヤな自分が出来上がる。

 良いことを考える自分がいると、良い自分が出来上がる。

それ以上でもそれ以下でもない。非常に単純明快な答えになっています。

ただし、「イヤな自分」や「良い自分」とは何なのかを考えると、非常に深い話になります。

こちらの記事に、「真の損得」という視点から考察してみていますので、興味のある方は御覧ください。

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