結論:「満たされない感じ」は、よく見ると存在しない
あなたは日々なにかしら、「満たされない感じ」を感じていますか?
おそらくですが、完全に満たされた気持ちで日々生活している人はいません。お金・家族や友人からの愛情・食事・睡眠・性欲、その他様々に「満たされない感覚」につきまとわれながら、誰しも生活しています。
なぜ「満たされない感じ」につきまとわれるのか? 以下の3つに原因があります。
・「満たされない感じ」は、他人と比較したときに湧き上がる
・正確に自分と他人と比較する事はできず、それは想像でしかない
・実は最低限生きていくために必要なものはそれほど多くない
仏教を始められたお釈迦様は、「満たされない感覚は常に大きくなり、心が休まる暇がない。それを防ぐには、自らを良く見つめることが大切である。」と述べられました。
私達は良く自分の内側を見つめなければなりません。そうすることで、私達が日々感じている「満たされない感覚」は、実は「私達自身が生み出している妄想である」ということに気付きます。
欠乏感とお釈迦様

現代社会において取り上げられがちな「満たされない感じ」という感覚ですが、2500年前のインドでも同じような感覚を持つ人が多くいました。その人達に対して、お釈迦様は1つの解答を述べられています。
欠乏感は増幅する
自分の内側を見つめるのを忘れると、
知らないうちに君の心には、欠乏感のブラックホールが開いて、
「欲しいよぅ、足りないよぅ、もっともっと」
と、求めてもがきまわる渇愛が増幅する。
まるで、林の中でバナナを探してあちこち飛びまわる猿のように、
君の心はあっちこっちともがきまわりグルグルと輪廻して、
死んですら気の休まることがない。
小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)046項
まとめると、私達の欠乏感である「満たされない感じ」は、ほっておくと気づかないうちにドンドン大きくなります。そうすると、これまで満足できていた欲望が、底なしのように深まっていきます。たとえ、あなたが好きなもので心を満たしたとしても、底なしの欲望がさらにあなたを欠乏感に突き落とします。そして、それが一生続くと述べられています。
この文章については、あなたのこれまでに経験してきた人生においても、同意を得られるのではないでしょうか?
これまでの人類のほとんどが、「満たされない感じ」との追いかけっこに人生を費やしてきたのだと思います。
人間の遺伝子には、「手に入れられるものは全て手に入れる」ようにプログラムされています。だから、際限ない欲望に毎日振り回され続けます。
この感覚が、人類全体を繁栄させたとも言えます。しかし、私達はこれによって非常に苦しめられるのです。
では、どのようにして「満たされない感じ」から抜け出せばよいのでしょうか?
自分の内側をよく見る

私達は日々、常に付きまとう「満たされない感じ」とともに生活しています。では、どのようにしてこの感覚から逃れるのか?
そのためには、あなた自身の内側をよく見つめなければなりません。
「自分を見つめたって、欲しいものは欲しいままだ!」と思われるかもしれません。しかし、ここでさらに深堀りする必要があります。
あなたにとっての必要最低限
「それがなければ、本当にあなたは生きていくことができないか?」
このことを、自分に問う必要があります。そして、自分が生きていくために必要最小限のものを明確にしておくことが重要です。あなたの求めているものは、生きてゆくために必要なものだったでしょうか?
私が修行しているときに感じたことですが、生きていくために必要なモノはそれほど多くないようです。お腹いっぱい食べないと死ぬなんてことはないですし、もちろん服装も簡素なものでいい、住まいも八畳もあれば十分であると分かりました。
では、私達が普段から欲しているものは、どうしてたくさんあるのでしょうか?
それは、「他人と比較する」からに他なりません。
「あの人は豪華な生活をおくっている、あの人は人から慕われている」。「それに比べて私は、、、」「私もそうなりたい!」。こういう感情が湧き起こることは、現代社会においてTwitterやYoutube、Facebook、InstagramなどSNSを通して激増しました。全ては美しく表示され、欲しくなるように作られています。
それでも「欲しいものは、欲しい」と思われるかもしれません。
ここでさらに考えなければならないことがあります。
他人との比較は想像でしかない

それは、私達がよく行っている「他人との比較」は正確なものなのか?ということです。
私達はこの「他人との比較」を、正確な情報を元にして行っているわけではありません。全ては私達が、「あの人は豪華な生活ができて幸せそうだ」と想像しているのです。
「あの人が豪華な生活ができて幸せ」かどうかは、本人にしか分かりません。私達は想像することしかできず、本当のところは本人にしか分からないのです。
ここで1つ思い出して欲しいのですが、お釈迦様の言葉の中で「欠乏感は増幅する」という話をしました。「満たされない感じを埋めようとすると、さらに別の満たされない感じがやってきて終わりがない」という内容でした。
これは全ての人に当てはまります。どんなに豪華な生活をおくっていたとしてもです。
お釈迦様自身もそのような経験をされていました。王族の息子として誕生したお釈迦様は、贅沢尽くしの生活をおくっていらっしゃいました。しかし、その生活が虚しいものであると感じ、修行への道を歩まれています。
これを聞くと、「この満たされない感じから逃れるには、修行しなければならないのか?!」と感じるかもしれません。僧侶としては、修行の必要があると答えるのですが、ここでは日頃からの意識を少し変化させるということを目標にします。
「満たされない感じ」の正体

ここまで読んでくださったあなたは、「満たされない感じ」の正体に気づいたかもしれません。それは、以下の3つです。
・「満たされない感じ」は、他人と比較したときに湧き上がる
・正確に自分と他人と比較する事はできず、それは想像でしかない
・実は最低限生きていくために必要なものはそれほど多くない
これらをまとめると、
「あなたの満たされない感じは、他人との比較することで湧き上がるが、実は想像でしかない。本当にあなたにとって必要なものは、思っている以上に少ない。」
となります。
つまり、結論として【「満たされない感じ」の正体は、よくみると存在しない】となります。
では「満たされない感じが存在しない」のであれば、私達はどうすればよいのでしょうか?
「満たされない感じ」を乗り越える唯一の手段

それは、最低限生きていくために必要なものに「感謝してみる」ことです。
突然に「感謝してみる」などと言われても、胡散臭さが強くて受け入れられないかもしれません。しかし、感謝は言い換えると「今あるもので満たされる」と捉えることができます。
今まで話してきたように、「満たされない感じ」を満たそうとしても、それには終りがありません。そこに終止符を打つことができる唯一と言える行動が、最低限生きていくために必要なモノに「感謝してみる」ことにあります。
欲望の始点である最低限必要なモノに対して、終止符を打ってしまう。そうすることで、終わりなき「満たされない感じ」の連鎖を断ち切ってしまうのです。
このことを実際に行おうとするときに、あなたへのオススメがあります。
それは、「食べたものに感謝してみる」ことです。
小学生で教わるような内容ですが、忙しく生活する中では思った以上に忘れられがちなことです。私自身もよく、なんとなしに「いただきます」「ごちそうさま」をいってしまいます。
別に、形式的に合掌し「いただきます」と言わなくてもいいです。一度、心の中で「食べ物があるのだから満足だな」と思ってみましょう。
案外、気分のいいものですよ!



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