こんにちは🙏お照(Oshyo)です。
かれこれ12年、お寺で僧侶をしている者です。
今回は、「悪口との付き合い方」について解説します。
ブッダの言葉と私の視点から、簡単に分かりやすく話していこうと思います。
[結論▶解説▶まとめ]の順番です。
結論:悪口は誰でも言われるから安易に心を乱さない

はじめに質問です。
あなたは、悪口を言われた経験があるでしょうか?
私達は、普段生活している中で、しばしば悪口を聞く機会があります。
自分の事でなくても、誰かの悪口を聞くことは日常茶飯事です。
食事のときやSNSなど、ほとんど悪口を聞かないときはないほどです。
私達が悪口を言わない心がけをすることは大切ですし、とても良い心がけだと思います。
しかし、悪口を言われないようにすることは非常に難しいです。
全てのことは、視点を変えれば善にも悪にもなるからです。
悪口を言われると動揺してしまうのですが、言われることを防ごうとすると大変です。
2500年前にお釈迦様が、インドで仏教を始められました。
その時代にも私達と同じように、悪口を言われることで苦しんでいる人々がいました。
お釈迦様は、このような問題に対して以下のように答えられています。

どんな人でも、悪口を言われない人はいません。
心が乱されそうになったとき、このことを思い出すこと。
この言葉の意味を分かりやすく解説していきます↓
解説:どんな人でも悪口はいわれる

「悪口を言われることが苦しい」という問題に対して、次のお釈迦様の言葉を参考にしていきます。
もし誰かに悪口を言われたら
もし君が、誰かに悪口を投げられて傷つきそうになったなら、思い起こしてみるとよい。この悪口っていうやつは、今に始まったことではなく、原始時代からずーっと続くものだということを。
静かに黙っている人は、「ムッツリしている」と悪口を言われ、たくさん話をする人は、「おしゃべりな人ですこと」と非難され、礼節をわきまえてしゃべる人すらも、「何か企んでいるんじゃないかしら」などと悪評を流される。
小池龍之介『超訳 ブッダの言葉』(2011)3項
まとめると、
・誰かに悪口を言われたときに、思い出さなければならない事実がある
・それは、悪口はずっと昔からどんなときでも存在していたということ
・そして、どんな聖人でも悪口を言われない人はいないということ
という内容です。
悪口は日常に溢れている

私達は、生活の中でしばしば誰かの悪口を耳にします。
友人と喋っているときや、同僚と一緒に食事をしているときなど、悪口を耳にしないときはないほどです。
そして、私自身も普通に会話しているだけで、誰かの気の合わない意見などに対して不満をいってしまったりします。
悪口とは、切っても切れない関係のようにも感じてきます。
悪口を言ってしまう原因は様々にあると思われます。
日々のストレスや、心の不安定さ、自己肯定感の低さ、会話の盛り上げ、相手への共感などです。
悪口を言うメリットはほとんどありませんし、その場ではよくても、多くの場合良い結果に結びつくことはほとんどありません。
どんな人でも悪口はいわれる

ただ今回は、悪口を言わない方法ではなく、悪口を聞いてしまったときの対処法を考えていこうと思います。
そこかしこに溢れに溢れている悪口からの、心の守り方を考えます。
お釈迦様の言葉にもあるように、いつでもどこでもどんな人でも悪口を言われない人はいません。
最近では、有名人が災害の被災地に義援金を送ると、ネットで叩かれるということを耳にします。
偽善行為で、自分を良く見せようとしているからだと聞きます。
確かに聖人のような態度に騙されて被害を被ってしまったなら、それは悪い行いをしていると言えるでしょう。
しかし、実際誰かに迷惑がかかっていることはありません。
つきつめると、叩いている本人には関係のない話です。
そして、お釈迦様の話の中にも、お釈迦様が通りすがりの人から「聖人ぶっている」と絡まれる話もあります。
結局どんな人でも、悪口の種にされることはあります。
悪口から心を守る

ここで私達が心得なければならないことなんでしょうか?
それは、簡単に心を乱されないことです。
悪口に耐性のある人もいるようですが、私達のほとんどが悪口を聞いてしまうと傷つきます。
または、怒って反論しようとします。
もし、自分が悪いことをしてしまって注意されたなら反省はすべきです。
しかし、身に覚えのないような陰口や悪口をいわれて、わざわざ傷ついて心を乱す必要もありません。
お釈迦様のスタンス

お釈迦様も、自身が修業によって得た気付きの内容を、教え広めようと決心した時に、教えを必要とされたときにのみそれに答えるようにしようと決められました。
そして同時に、教えに全く関心が無い人や、反発し悪口などを言う人には、無理に教えを説き広めることは無いと考えられました。
求められた場合にのみ答えていくスタンスです。
ちなみに、仏教の全てのお経は、お釈迦様が書いたものではありません。
お釈迦様が質問を受け答え、その内容をお弟子さんが書き留めたものであるとされています。
お釈迦様は、悪口がどこからでも現れてくるものであると気付かれました。
そして、関わり合うことは心を乱すのみであるから距離をとるという方法をとられました。
私達が学ぶことは、悪口に関わらないこと、近づかないことです。
そして、私達の身の回りにはそういった罠がありふれているという自覚です。
罠にかかって、心を乱されてしまわないことを、常に意識しておくことが大切です。
まとめ

私達が悪口を聞かない日はありません。
どんな人と会話していても、インターネットをしていても必ず誰かの悪口に出会います。
悪口をいう原因には様々ですが、良い結果を導くことはほとんどありません。
それでも、悪口が無くならないのは、それほど必要とされているからでしょう。
では、私達が悪口に対して知っていなければならないことは何でしょうか?
それは、悪口というものは常に無くならないということです。
そして、どんな人でも悪口の対象になるということです。
これはいつの時代でも存在し、避けられようのないことです。
私達が心得るべきことは、この事実を知って、なるべく関わらないよいうにし、心を乱されないようにすることです。
できることは少ないように感じますが、事実を知っていることで心が乱れない手助けになります。



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